『豊臣兄弟!』12歳で初産、秀吉の養女も…まつ(菅井友香)が産んだ前田利家(大東駿介)の8人の子供の運命 (4/8ページ)
しかし天正11年(1583年)に起きた賤ヶ岳の合戦で敗れた勝家・十蔵主従が自害してしまいます。この時に侍女のあちゃこが彼女を救出し、両親の元へ戻りました。
14歳となった摩阿姫は天正13年(1585年)に秀吉から見初められ、大坂へ連れられてその側室になったそうです。
豊臣家中では加賀殿・かゞ殿(かがどの)と呼ばれ、後に京都の聚楽第へ移り住んだことから聚楽天主(じゅらくてんしゅ)とも呼ばれました。
文禄3年(1594年)に伏見城(京都市伏見区)が完成すると、城内に設けられた前田邸内へ預けられます。側室を実家へ住まわせることは異例でしたが、これは摩阿姫をダシに利家と密談するための措置だったそうです。
慶長3年(1598年)3月に催された醍醐の花見では第5位の妻として扱われたものの、余命いくばくもない秀吉の存命中に離縁しました。
秀吉の死後に公家の万里小路充房(までのこうじ あつふさ)と再婚。一人息子(後の前田利忠)を生みますが、後に離縁して母子ともに前田家へ戻ります。
そして慶長10年(1605年)に34歳で世を去り、戒名を祥雲院殿隆室宗盛大禅定尼(しょううんいんでん りゅうしつそうせい だいぜんじょうに)と名づけられました。