どうした秀吉?『豊臣兄弟!』藤吉郎が踏んだ豊臣崩壊ルート…戦国時代、最終局面の誤算とは (8/9ページ)

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その溝はやがて修復困難なものとなり、福島正則や細川忠興といった、本来なら秀頼を支える立場にあった大名たちまでもが、最終的には徳川家康の側へと傾いていきます。

その流れは、やがて関ヶ原合戦の行方を大きく左右することになります。そして、その帰結として訪れたのが大坂の陣による豊臣家の滅亡でした。

秀吉晩年の行動が、思いもよらぬかたちで豊臣家の未来を揺るがせていく。朝鮮出兵とは、その決定的な出来事の一つだったと言えるのかもしれません。

人生の最終局面において、ようやく「家」というものの重みに目覚めた豊臣秀吉。その秀吉が、臨終の床で繰り返し口にしたのは、自らの死後、豊臣家が滅んでしまうのではないかという切実な不安でした。

秀吉の歩みを振り返れば、「家」の存続を危うくしかねない決断も少なくありませんでした。それでも病に伏しながら、「どうか皆で秀頼を支えてほしい」と懇願する姿には、どこか痛切な哀しみさえ漂ってきます。

そして1598年(慶長3年)8月18日。稀代の英傑・秀吉は、62年の波乱に満ちた生涯に幕を下ろしたのです。

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