『豊臣兄弟!』娯楽としては満点!でも引っかかる…“信長像”に残った歴史好きの違和感 (5/7ページ)

Japaaan

蒲生氏郷/西光寺蔵(Wikipedia)

たとえば、こんな逸話が伝わっています。信長のもとで人質として小姓を務めていた鶴千代という少年がいました。のちに豊臣政権下で会津百万石を領することになる、あの蒲生氏郷です。

鶴千代は近江日野城主の跡取りという、小なりとはいえ、れっきとした大名の子でした。しかし信長は、その身分に配慮することなく、初陣において最も危険な前線へと送り出したといいます。幸いにも鶴千代は、少年期から武勇に優れていたため、信長の期待に応えて敵将を討ち取り帰陣しました。しかし、同じく前線に立った小姓たちのなかには、命を落とした者が多かったとも伝えられています。

このとき、信長は何を思ったのでしょうか。確かな記録は残っていませんが、少なくとも情に流される人物ではなかったはずです。おそらくは、その真意は「まぁ、仕方がないな」そんなところであったのでしょう。つまり彼は、命を懸けて立ち向かい、勝利した者だけしか認めなかったのです。

その苛烈さと合理性は、しばしば現代の感覚では「冷酷」と映るかもしれません。

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