コスプレ参加、女性同士のバトル…豊臣秀吉が催した戦国最大級の「ド派手なお花見」が規格外すぎる! (4/6ページ)

Japaaan

それとも、秀長がまだ存命中に行ったことにするのでしょうか。

血の流れる戦闘や騙し騙されの戦国時代。いっとき、華やかな薄ピンクの桜を背景に、戦国武将たちが無礼講で花見を楽しむ平和なシーンも観てみたいものです。

秀吉の花見(歌川豊信)

700本の桜を移植した『醍醐の花見』

秀吉が2度目に主催したのが『醍醐の花見』。慶長3年3月15日(1598年4月20日)に行われました。

場所は、京都の醍醐寺三宝院裏の山麓です。北野大茶湯(※)と双璧を成す、秀吉一世一代の催し物として知られています。

この花見では、畿内から700本もの桜を醍醐寺に移植しました。宴には正室の北政所、側室の淀殿三の丸、息子・秀頼、女房衆ほか約1,300人余りが参加したそうです。

このときは、ほとんどが女性ばかりで、男性の参加者は秀吉、息子の秀頼、前田利家の3人だったそうです。

花見の後、同年の夏に亡くなった秀吉。天下人の文化と絢爛を象徴する宴として今も語り継がれています。。

※北野大茶湯:天正15年10月1日(1587年11月1日)に京都北野天満宮境内において豊臣秀吉が催した大規模な茶会のこと。

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