『豊臣兄弟!』“悪役” 松永久秀(竹中直人)は本当に東大寺大仏を焼いたのか?史料から見えた真実 (3/6ページ)
対する久秀は約5千の兵でこれに対峙する。
三人衆が大仏殿に陣を移すと、久秀は居城・多聞山城を背に戒壇院を占拠し、これを鉄砲陣地に改造。ここから大仏殿へ銃撃を加えた。
戦闘は激化し、夜間、久秀軍は大仏殿を奇襲。結果として松永軍が勝利する。しかしその戦いのさなか、大仏殿は炎上し、大仏の首は焼け落ちたのである。
東大寺の記録は「松永軍の放火」と記す現在考えられている出火原因は、主に三説ある。
1.松永久秀軍の放火
2.三好三人衆軍の失火
3.松永軍内にいたキリシタンによる放火
現在、有力視されているのは三人衆の失火説である。しかし、夜間奇襲を行ったのは久秀側であり、混乱の中の出火であった以上、完全な無関係とも言い切れない。

三好三人衆。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
この件に関して、国際日本文化研究センターの磯田道史教授は、自ら発見した1567年(永禄10年)年の大仏炎上を記した東大寺側の資料から、三人衆敗走後の出火とみる。
そこには次のようにある。
「十月十日夜十二時ごろ、松永弾正方が三手をなして大仏殿を夜襲。