『豊臣兄弟!』“悪役” 松永久秀(竹中直人)は本当に東大寺大仏を焼いたのか?史料から見えた真実 (4/6ページ)

Japaaan

軍兵を多く討ち捕り、西の回廊に火を懸け、寺じゅうの老若が身命を捨て闘争の場に出て水をくみ上げ、瓦をくずして消火したが、西風がしきりに吹き猛火が大仏殿に懸り即時炎上」

東大寺大仏殿(Wikipedia)

つまり、東大寺側は「松永軍の放火」と見ていたようだ。ともあれ、東大寺は合戦中に危険を顧みず消火活動を行った。しかし、「大仏のお首は落ち、後にあった」。そして、「炎上の翌日、老若消魂」して皆途方に暮れたという。

この衝撃は、東大寺だけに留まらなかった。

「大仏も焼けた。狂へ。ただ遊べ。浮世は不定の身を持ちて」という刹那的な小唄が織田家中で流行したと伝わるほど、当時の人々に大きな衝撃を与えたのである。

結論から言えば、出火の瞬間を見た者はおらず、真犯人は断定できない。それでも当時から、犯人は久秀と目されていた。皮肉にも、この戦いの勝者が彼だったからである。

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