【豊臣兄弟!】織田信長が足利義昭のために築いた“最初の二条城”とは?天下人の石「藤戸石」の悲劇 (2/7ページ)
もともとは室町時代の守護大名、斯波氏(しばし)の館跡で、館は義昭の兄である13代将軍・義輝に譲らました。信長自身は普請奉行として、現地で陣頭指揮をとるほどの力の入れようで、約三ヶ月(70日ほどとも)という驚きの短期間で築城に成功しました。
旧二条城を大急ぎで造営したきっかけは、三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)が義昭のいる京都本圀寺を襲撃した事件だそうです。このくだりは前回の『本圀寺の変』で描かれていましたね。
本圀寺を借り御所としていた義昭は追い込まれますが、まさかの小一郎(仲野大河)が本圀寺の僧侶になりすまし、三好三人衆に攻撃を思いとどまらせるハッタリ大作戦と、藤吉郎(池松壮亮)が、「タイミー侍」を雇い駆けつけるという奇想天外な策で乗り切ったという面白い展開でした。
もちろん、この部分はオリジナルストーリー。けれども、実際に起こった三好三人衆襲撃事件で、信長はより堅牢な防御施設の必要性を感じたようです。(本圀寺は要塞化され防御力は備えてはいたそうですが)
そこで、新しく、旧二条城(公方御構)を作ることとなったのでした。当時は堀をめぐらせ、高い石垣に櫓を設け、城内も庭園や建物に粋を凝らした、堅固で華麗な城郭だったそうです。