【豊臣兄弟!】織田信長が足利義昭のために築いた“最初の二条城”とは?天下人の石「藤戸石」の悲劇 (5/7ページ)

Japaaan

漁夫の犠牲があったおかげで佐々木盛綱らも範頼勢も海路を渡り、平氏軍を追い勝利を掴みます。

藤戸石は「漁夫殺害現場にあった石」と言われ、武家社会では一番乗りを果たした盛綱の栄光の象徴の意味もあって”天下の名石”と評された……という、なんとも残酷な話です。

武将にとっては勝利の象徴かもしれませんが、親切に道案内をした挙句に殺された漁夫にとっては理不尽な悲劇そのもの。

この悲劇を今に伝えているのが能の演目、謡曲『藤戸』です。

漁師を殺す盛綱(歌川国芳画) Wikipedia

勝利の陰にある民の犠牲を伝える謡曲『藤戸』

佐々木盛綱は、備前国児島にある藤戸の合戦で馬で海を渡る快挙を成し遂げて先陣の功を上げます。それによって児島を領地に賜るのですが……。

ある日、領地入りした盛綱の前に一人の老婆が現れ「我が子を殺した!」と盛綱を責め立てました。その老婆は、親切に浅瀬の道や時間を教えてくれたのにも関わらず、殺してしまった漁夫の母親でした。

盛綱は敵どころか味方にもこの話が漏れるのを防ぐため、無慈悲にも漁夫を切り捨てたうえに海に沈めてしまったのでした。

盛綱の告白を聞いた老婆は半狂乱になり「息子を返せ、息子を返せ」と迫ります。盛綱は、息子の供養をすることを約束し老婆を返しました。

盛綱が、藤戸の海辺で般若経を読誦して漁夫を弔っていると、その亡霊が海上に姿を現しました。

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