【豊臣兄弟!】織田信長が足利義昭のために築いた“最初の二条城”とは?天下人の石「藤戸石」の悲劇 (4/7ページ)

Japaaan

ルイス・フロイス像(長崎)wiki

武将の勝利のために理不尽に殺された漁師にまつわる藤戸石

旧二条城ができあがったとき、信長が義昭に贈り庭に設置したのが『藤戸石』です。

藤戸石は、岡山県藤戸の渡で産出されたと伝わる、室町時代から名石として珍重されているもの。

権力の象徴として、室町時代後期には、実権を握った細川管領邸に置かれ、それを織田信長が奪い、義昭のために造営した二条邸に運ばせたと伝わっています。

この石を運ぶ時には、信長が権力を示すために自ら指揮をとり、石を綾錦の布でつつみ、その上に花をかざり、笛・太鼓・つづみなどで賑やかに音楽を奏で、大綱で引いたそう。さぞかし、華やかなパレードになったのではないでしょうか。

けれども、権力者側からみれば「勝利や権力の証」となるこの藤戸石には、実は何の罪もないのに犠牲になった民の血が流れていたのです。

藤戸石の由来は源平合戦まで遡ります。源頼朝の異母弟の源範頼が、一ノ谷の戦い後に西国に兵を進めたときのこと。

範頼勢は、本土側の備前国西河尻・藤戸に陣を構えましたが、波が高く船もないため500m程の藤戸の海峡を渡れずに困っていました。

そこで佐々木盛綱は、地元の漁夫から馬で渡れる浅瀬ができる時間と場所を聞き出し案内させます。けれども、その情報が漏れることを防ぐため、その漁夫を刺し殺してしまうのでした。

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