【豊臣兄弟!】織田信長が足利義昭のために築いた“最初の二条城”とは?天下人の石「藤戸石」の悲劇 (3/7ページ)
見たこともない広大で華麗な宮殿だった旧二条城
信長が作った旧二条城は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスによると、「日本において見たこともない新しい城で、広大かつ華麗な宮殿だった」「石仏や五輪等などの石造物も徴収してあっという間に建てた」など、驚きを持って書き記していたそうです。どのような建築物や造園だったのか……想像が膨らみます。
けれど、その後、信長と義昭との関係が悪化し義昭は畿内から追放。せっかくの立派な建築物も天主や門は解体され、築城中の安土城に転用されてしまったのでした。
遺構はほとんど残っていませんが、1975年代に行われた、地下鉄烏丸線工事に先立つ発掘調査で石垣が発見されたそうです。
その一部は、京都御苑内と現在の二条城内に復元され、平安女学院の敷地の一角には「旧二條城跡」と彫られた石碑と説明板が立っています。
また、二重(三重とも)の石垣と横堀が巡り、天守らしい高層建造物が立っていたことも判明しているとか。かなり信長が力を注いで作ったことが推測されます。