【豊臣兄弟!】織田信長が足利義昭のために築いた“最初の二条城”とは?天下人の石「藤戸石」の悲劇 (6/7ページ)
亡霊は、無惨にも殺された恨みを語り伝えに来たといい、刺し通されて海に沈められた惨劇を見せました。
亡霊は悪龍の水神と化して、恨みを晴らそうとしていたのですが、意外にも回向を賜ったことに感謝し、彼岸に至って成仏の身となりました。
という内容です。(ちょっと最後は、権力者にとって都合がいい終わり方になってしまったような)
いつの時代も権力者同士の戦いは、かならず民間人が巻き込まれ犠牲に。『藤戸』は、戦場で華々しく手柄を誇る権力者の陰で理不尽に殺された民がいるという無念や悲哀を今に伝える演目となっています。
※読本系「平家物語」では佐々木盛綱は漁夫を殺してはいないとも
無辜の血が流れ悲しみの慟哭が込められた「藤戸岩」。
前項で触れたように、佐々木盛綱や源範頼らの勝利の象徴、細川官領邸に置かれ権力の象徴となり、旧二条城の庭に運ばれるも信長と義昭が決裂したため後取り壊しになり、信長が本能寺の変で自死後は、秀吉が聚楽第に運び、さらに慶長3年(1598)には醍醐寺三宝院へと移すも、秀吉は完成を待たずに死去……。
一時工事は中断していたものの、醍醐寺住職の義演准后(ぎえんじゅごう)が秀吉の遺志を継ぎ完成させ現在に至ります。