朝ドラ『風、薫る』学問を武器に!日本初の看護婦学校を作った実在人物、大山捨松(多部未華子)の激動の生涯 (5/8ページ)
ところが大山が粘りに粘ったので、仕方なく、兄は捨松の意思を聞くことにしました。「どういう人かわからないと返事もできない」ということで、試しにデートをすることになった捨松と大山巌。
このとき、薩摩弁VS会津弁でお互いに何をしゃべっているのか意思疎通ができなかったため、フランス語で話すようになり会話がはずんだという、エピソードがあります。
気さくな大山の人柄が気に入った捨松は結婚を決意。明治16年(1883)に婚儀が行われ、その一ヶ月後に完成した鹿鳴館にて披露宴が行われました。
当時、人前で女性が、ましてや「花嫁」が社交的に振る舞うことはほぼないような時代でした。けれども、エレガントに堂々と振る舞う新しい女性像を感じさせる捨松に、みな魅了されたようです。
捨松に「イワオ」と呼ばれていた夫(NHK「風、薫る」公式サイトより)
ルックスも語学もダンスも秀でた捨松は「鹿鳴館の華」に鹿鳴館では連日夜会や舞踏会が催され、明治の高官たちは諸外国の外交官と接点を持つために参加していたのですが、日本人の不慣れな「鹿鳴館外交」は、諸外国からばかにされていたとか。
身長も低くプロポーション的にも燕尾服やドレスが似合わない日本の高官やその夫人が慣れないダンスをする様子を「滑稽なもの」としていたという話もあります。
けれども、そこで日本人外交の面目躍如をしたのが捨松です。