朝ドラ『風、薫る』学問を武器に!日本初の看護婦学校を作った実在人物、大山捨松(多部未華子)の激動の生涯 (6/8ページ)
当時の女性としては長身で美しく、語学も堪能、子供のときから身につけているダンスのステップも抜群、ドレス姿も板についているという、新しい日本人女性を感じさせる輝き。
捨松は、またたくまに注目を集め『鹿鳴館の華』と称賛されるようになったのです。
日本初の看護婦学校の設立に尽力
捨松の功績はそれだけではありません。
東京の有志共立東京病院(のちの東京慈恵会医学大学附属病院)を見学したとき、看護婦という存在がなく雑用係の男性が数名する程度だったことに衝撃を受けます。
そこで、元海軍軍医総監で病院長であった高木兼寛に、患者のため女性の社会進出のため、日本に看護婦養成学校が必要だと提言します。
そして、資金集めとして明治17年(1884)に「鹿鳴館慈善会」を行い、3日間で大収益を上げて共立病院に寄付をするという偉業をなしとげました。
そのおかげで、日本初の看護婦学校「有志共立病院看護婦教育所(のちの慈恵看護専門学校」が設立したのです。
明治20年(1887)には「日本赤十字篤志婦人会」の発起人となったり寄付金集めなどを行う一方、看護婦の資格を活かし日本赤十字社で戦傷者の看護や包帯作りなどを行いました。