朝ドラ「風、薫る」語学を武器に幕末・明治を動かした男…実在人物・清水卯三郎(坂東彌十郎)の生涯 (2/6ページ)

Japaaan

嘉永7(1854)年2月、ロシア全権使節プチャーチンが下田に来航。卯三郎は伯父・友山の計らいによって、プチャーチンの応接係・筒井政憲のお供として随行します。

その際、卯三郎は片言のロシア語で「ヒアリ・コウ(こんにちは)」とプチャーチンに話しかけました。

本来であれば、一回の従者が国の全権使節に話しかけるなど、考えられないことです。しかしこの経験で自信を持ったのか、ロシア語まで習い始めます。

ロシア全権使節・プチャーチン。卯三郎は臆せずに話しかけた。

薩英戦争の仲介に奔走

安政6(1859)年、には開港地となった横浜に在留。親戚が営む、外国人相手の大豆商店を手伝いました。

外国人を相手にする上で、特に痛感したのが英語の必要性です。

鎖国時代はオランダ語が海外との交渉で必要でしたが、幕末ともなると英語の重要性は飛躍的に高まっていました。

卯三郎は通詞の立石得十郎から英語を師事。立石の養子で甥の斧次郎や薩摩藩の松木弘安(後の外務卿・寺島宗則)とも交友関係を広げました。

翌1860年(万延元年)には、英語辞典『ゑんぎりしことば』を発刊。広く後進に英語を学ぶ機会を広げようとしました。

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