朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察 (7/9ページ)

Japaaan

看護の仕事が大変なこともありますが、まだ西洋医学の導入期なので人材不足であること・教育を受けた女性の看護婦という存在は初めてなので希少性が高いこと・上流階級や外国人などと関わるとなどが理由で報酬はよかった……といわれています。

一般的な庶民の一月の生活費は1円〜3円くらいだったそうなので、トレインドナースの月30円の収入は、人生を変えるレベルの給料だったでしょう。

りんにしても直美にしても、「結婚して夫次第の人生に甘んじる」ような生き方をするのではなく、一人でも(シングルマザーでも)自分自身の『This is My Life』を生きるには、十分な収入は大切ですよね。

給料が安いしブラックだった直美が働いていたマッチ箱工場(NHK朝ドラ「風、薫る」公式サイトより

優秀でも感情的になると泣き虫だった大崎和

桜井女学校は、1890(明治23)年9月9日、新栄女学校が合併し校名を女子学院とします。初代院長としてユニークな取り組みを行ったことで知られる矢嶋楫子が就任しました。この後、矢嶋は1913(大正3)年まで女子学院の院長を務めることになります。

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