朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察 (5/9ページ)

Japaaan

英国・ロンドンのテムズ川のほとり聖トーマス病院の敷地内にある『ナイチンゲール博物館』の入り口には大山捨松の写真が掲げられているそうです。

大山捨松(wiki)

和と雅が入学した『桜井女学校の附属看護婦養成所』

ドラマで、二人のヒロインが明治19年(1886)12月に入学したのは『梅岡女學校』。

正門の前でりんは「士族のお嬢さんはナースになんてならないかと思った」と声をかけられました。そこには、ばっさりと肩で切り揃えたセンターパーツのボブスタイルになった直美が。失恋や今までの自分の人生への決別なのか。さらに「いい面構え」になっています。

史実では、大関和と鈴木雅が入学したのは『桜井女学校の附属看護婦養成所』です。

桜井女学校は、日本の教育者・櫻井ちかが1876年に設立したキリスト教系女学校で、ちかの函館転居に伴い、学校の経営はアメリカ人宣教師のマリア・T・ツルー(「風、薫る」の宣教師メアリー(アニャ・フロリス)のモデル)に移りました。

ツルーは、当初女学校とは別に新しく看護学校を設立するつもりでしたが、医療宣教師のJ.C.ヘボンらに反対され「非公式」で看護学校を始めたのです。このときに入学したのは大関和、鈴木雅ほか7〜8人ほどの少人数だったそうです。ドラマでも『梅岡女學校』に集まったのは7人ほどのようですね。

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