驚愕の古代史!卑弥呼はなぜ女王になったのか?邪馬台国誕生の裏にあった異常気象と“倭国大乱”[前編] (2/7ページ)
その混乱とは、史学上「倭国大乱」と呼ばれるものです。
弥生時代の倭国については、『漢書地理志』に「楽浪郡の海の向こうに倭人がいて、百余りの国に分かれている」とあり、さらに『後漢書東夷伝』には、「西暦57年に倭の奴国が洛陽へ朝貢した」ことが記録されています。
ところが、その後およそ70~80年を経るうちに、倭国では国々が互いに争うようになり、長期にわたる混乱状態に陥ったというのです。これは2世紀後半、概ね西暦180~190年頃の出来事と考えられています。
この争乱を収めるため、諸国は一人の女子を共立して女王としました。その人物こそが卑弥呼であり、倭国大乱を経て、邪馬台国が成立したと考えられるのです。
地域勢力の台頭だけで「大乱」は起きるのかしかし、この倭国大乱の原因については、明確な結論は出ていません。よく言われるのは、大陸や朝鮮半島との交易によって経済的・政治的に優位な立場にあった北部九州勢力に対し、出雲・吉備・タニハ(京都府北部)といった日本海側の勢力が台頭し、それに畿内や尾張などの新興勢力も加わった結果、互いに競い合う列島規模の対立へと発展したとされます。