驚愕の古代史!卑弥呼はなぜ女王になったのか?邪馬台国誕生の裏にあった異常気象と“倭国大乱”[後編] (6/8ページ)

Japaaan

長期にわたる争乱のなかで各地の勢力には、もはや軍事的対立を続ける余力は残されていなかったのではないでしょうか。

その結果、争いではなく調停と統合を模索する動きが生まれた可能性があります。それが、女王・卑弥呼を共立するという選択、すなわち邪馬台国連合の成立であったとも考えられるのです。

纏向の復元予想図/現地案内板(撮影:高野晃彰)

邪馬台国の有力候補地として知られる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡は、3世紀前半に突如として出現する大規模都市遺跡です。その立地は四方を山に囲まれて奈良盆地内に位置し、自然災害の影響を受けにくい点でも政治的中心地として適していました。

この遺跡からは、九州から関東にいたる広範な地域の土器が出土しており、広域交流の拠点であったことがうかがえます。

また、後の前方後円墳の規範となる纏向石塚古墳をはじめとする纏向型前方後円墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳には、吉備地方に起源をもつ特殊器台が採用されています。

「驚愕の古代史!卑弥呼はなぜ女王になったのか?邪馬台国誕生の裏にあった異常気象と“倭国大乱”[後編]」のページです。デイリーニュースオンラインは、倭国大乱古代日本倭国邪馬台国卑弥呼カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る