『豊臣兄弟!』お市の長政介錯は史実?義昭のその後、義景斬首の実際…怒涛の展開、第17回放送を考察 (2/11ページ)
武田信玄の死因については諸説あり、持病の労咳(ろうがい。肺結核)や肺炎、『甲陽軍鑑』では胃ガンもしくは食道ガンではないかと言われています。
また後世になると狙撃を受けた銃創が元で亡くなったという『藩翰譜』の説や、日本住血吸虫病(寄生虫病)によって命を落としたとする説も唱えられました。
さて、死期を悟った信玄は遺言を残します。
……三年の間我死たるを隠して国をしづめ候へ跡の儀は四郎むすこ信勝十六歳の時家督なり其間は陣代を四郎勝頼と申付候但し武田の旗はもたする事無用なりまして我そんし(孫子)のはた、将軍地蔵の旗八幡大菩薩の小旗何も一せつ持すべからず太郎信勝十六歳にて家督初陣の時尊師(孫子)の旗斗り(ばかり)残しよ(余)の旗は何(いずれ)も出すべきなり……
※『甲陽軍鑑』品第卅九(三十九)「信玄公御他界之事付御遺言の事」より
【意訳】3年間は我が死を隠し、領国安定に努めること。家督は孫の武田信勝(のぶかつ)が16歳になったら継がせること。それまでの間は諏訪四郎勝頼(信勝父)が後見すること。ただし武田家伝来の旗印を持たせてはならない。まして我が孫子(風林火山)の旗や将軍地蔵の旗、八幡大菩薩の旗など何一つ持たせてはならない。信勝が初陣を飾る時は風林火山の旗以外すべて出すこと。
よほど旗印を大切にしていたことがうかがえるほか、諏訪家を継いだ勝頼に武田家を継がせてなるものかと言わんばかりですね。
果たして大河ドラマで武田家の「その後」がどのように描かれるのか、注目していきましょう。