朝ドラ「風、薫る」新宿中村屋を築いた波乱の実業家!丸山忠蔵(若林時英)の実在モデル・相馬愛蔵の生涯 (5/7ページ)

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やがて中村屋は、明治40(1907)年に新宿へ支店を出店。明治42(1909)年には現在地へ移転して、和菓子の販売も始めています。

中村屋の特徴は、食べ物を売る店でありながら、文化人や芸術家が集う場にもなったことです。

相馬家には、荻原碌山を中心に多くの芸術家が出入りするようになりました。これが、のちに「中村屋サロン」と呼ばれる交流の場になります。

中村屋サロンには、荻原碌山、高村光太郎中村彝(なかむら・つね)ら多くの芸術家が出入りしました。相馬夫妻は、物心両面で芸術家を支えたとされています。

大正4(1915)年には、インド独立運動家ラス・ビハリ・ボースを中村屋でかくまいました。

後にボースは相馬夫妻の長女俊子と結婚。ボースの手ほどきで作られた「純印度式カリー」は、中村屋喫茶部の看板メニューになりました。

中村屋は、単なる商店ではありませんでした。そこは、食文化、芸術、国際交流、社会運動が交差する、不思議な磁場のような場所だったのです。

相馬黒光(本名:良)。愛蔵を支え、二人三脚で中村屋の礎を築いた。

震災、戦争、不法占拠…苦難の日々の果てに

徐々に不吉な足音が中村屋に忍び寄ってきます。

大正12(1923)年、中村屋は個人商店から株式会社へ改組。

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