朝ドラ「風、薫る」新宿中村屋を築いた波乱の実業家!丸山忠蔵(若林時英)の実在モデル・相馬愛蔵の生涯 (6/7ページ)
同じ年に関東大震災が起こると、中村屋はパンや饅頭を夜通しで製造し、被災者に特価で提供しました。
昭和2(1927)年には店内に喫茶部を開設。純印度式カリーやボルシチは、この喫茶部の看板メニューとして注目されました。
しかし、昭和の時代は愛蔵に厳しい試練をもたらします。
昭和20(1945)年5月25日の空襲で、中村屋は焼失。さらに終戦後、新宿大通り沿いには闇市が広がり、中村屋の敷地も不法占拠されてしまいます。
愛蔵は昭和22(1947)年に訴訟を起こし、土地を取り戻したのは昭和28(1953)年のことでした。
若き日に明治の近代化を見つめ、壮年期に大正の都市文化を育てた愛蔵は、晩年に戦争と敗戦後の混乱を経験することになったのです。
昭和23(1948)年、長男の相馬安雄(やすお)が2代目社長に就任。愛蔵は会長に退きましたが、その後も老人福祉を目的とする「千一運動」などに関わりました。
昭和26(1951)年、愛蔵は脳軟化症を発症。それでも翌昭和27(1952)年には、黒光との共著『晩霜』を出版するなど精力的に活動していました。
昭和29(1954)年2月14日、相馬愛蔵は自宅で病没。享年83歳でした。墓所は東京都府中市の多磨霊園にあります。
相馬愛蔵は、日本近代の食文化と都市文化に、大きな足跡を残した一代の巨人。
そして彼の生涯は、安曇野の養蚕家から新宿の実業家へ、そして商いを通じて文化と人を結んだ、近代日本の橋を架ける歩みでした。