『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜京都を固めた家康のトライアングル防衛線【前編】 (4/7ページ)

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この体制をもとに、大名は幕府により日本各地に配されることになります。

そのうえで、関ケ原の戦い前後から徳川に従った大名たち、すなわち外様大名は関東・京都・大坂などの要衝から離れた場所におかれました。

よく知られる外様大名としては、加賀藩の前田家、薩摩藩の島津家、長州藩の毛利家、米沢藩の上杉家、仙台藩の伊達家などがあります。

江戸時代の大名配置(世界の歴史マップ)

みんな戦国時代から武名を誇り、100万石を越える、あるいはそれに近い領地を所有していた名家です。彼らは、元々の領地やその一部を幕府から安堵されたのですが、本領はともかく飛び地(本領から離れた領地)でさえ戦略上の要衝に領地を与えられることはありませんでした。

その理由は明確です。江戸幕府がどんなに強固な幕藩体制で大名を縛ろうとも、やはり外様は外様でした。つまり幕府からすれば、外様大名は信用できない存在だった。だからこそ、要衝周辺には「絶対に裏切らない大名たち」を配置したのです。

家康は戦国乱世を生き抜いて、天下を取った人物です。織田信長や秀吉の下で、忍耐と苦渋の日々を過ごしてきました。しかし、それ以上に痛感したのは、政権を維持することの難しさであったでしょう。

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