『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜京都を固めた家康のトライアングル防衛線【前編】 (2/7ページ)

Japaaan

徳川家康は、そこから天下取りへの野望を顕わにします。

そして、1600年(慶長5年)、関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、1603年(慶長8年)に征夷大将軍の宣下を受け、ここに約260年続く江戸幕府が誕生しました。

と、書くと「何だ、そんな当たり前のことを」とおっしゃる読者はたくさんいるかもしれません。

確かにそうですね。でもここでは、関ケ原の1年後に家康が京都に築城した二条城に触れたいのです。今は、「世界遺産元離宮・二条城」と称される同城は、二の丸御殿に代表されるような豪華絢爛で美しい城です。外国からの観光客にも大人気、何とここを訪れる人の6割がインバウンドであるともいわれます。

二条城/洛中洛外図(Wikipedia)

さて、話を戻しましょう。二条城を訪れた人の多くが、あることに気付くのではないでしょうか。それは、本当にこの城で戦いができるのかということ。もちろん、二条城は徳川幕府が本気で造った城ですから、虎口の配置や石垣の造りを見てもわかるように、十分な防御力を備えた近世城郭です。

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