『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜京都を固めた家康のトライアングル防衛線【前編】 (6/7ページ)

Japaaan

後水尾天皇像/ 尾形光琳筆(Wikipedia)

これが、家康が恐れたことでした。だから、家康は二条城を御所の近くに置き、知恩院と金戒光明寺を要塞化したのです。この家康の恐れが、現実化したのが約260年後に起きた倒幕運動に事を発する、鳥羽伏見の戦いであり戊辰戦争でした。

しかし、幕府が260年続いた末に弱体化した幕末と比べると、秀吉亡き後は、誰も家康に逆らえない状況にありました。

それは、関ケ原の戦いを思い出せばわかることです。家康が「会津の上杉景勝を討つぞ!」と言えば、徳川の譜代だけでなく、福島正則など豊臣一族ともいうべき大名たちのほとんどが「内府がおっしゃるなら間違いない」と、率先して従います。つまり、家康が「カラスは白いといえば、黒いカラスも白くなる」というわけです。

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