14万人に包囲されても突撃…“越前の狂犬” 富田長繁、常識外れの戦いと24歳の非業の最期 (1/4ページ)
朝倉家が戦国大名として機能を失った後、越前国を強引な手法で支配した若武者がいました。
その人物は富田長繁(とだ-ながしげ)。目的のためなら手段を問わずに攻撃的かつ過激な行為をやり続けたことから、越前の狂犬のあだ名が付けられた人物でもあります。
では、どのような手法で越前国を支配したのでしょうか。
今回は、長繁が暴れ狂った24年間の生涯を通して、越前国を手に入れた方法を紹介します。
朝倉から織田へ寝返り
富田吉順の子とされる長繁が歴史の表舞台に立ったのは元亀元年(1570)のこと。信長の朝倉侵攻に対して、1000人の兵を率いて戦いました。
この時の戦いで朝倉と織田の力の差を思い知ったのか、元亀3年(1572)に両軍が対峙していた際、先に寝返った桂田長俊に続いて毛屋猪介(けや-いのすけ)らと織田軍に寝返りました。同年には浅井軍の侵攻から守る羽柴秀吉の援軍に駆けつけ、猪介と共に戦功をあげる活躍をしています。
