【豊臣兄弟!】次回「風雲!竹田城」を予習。小一郎(仲野太賀)が総大将デビューで覚醒?激闘の顛末を紹介 (4/7ページ)
あれ?せっかく占領して、およそ1年半も維持していたのに、放棄してしまっていいのでしょうか。
これが戦略的意図による行動(あえて放棄した)か、あるいは秀吉のいる播磨戦線を優先した苦渋の決断なのかはわかりません。
もちろん毛利方がこれを見逃すはずもなく、再び太田垣輝延が竹田城を占領しました。しかしこのまま引き下がる小一郎ではありません。
およそ1年が過ぎた天正8年(1580年)4月、小一郎は6,400の軍勢を率いて竹田城へ進攻し、今度は難なく再占領したようです。
勝手知ったる竹田城、と言ったところでしょうか。先ほどの一時放棄は、もしかしたら「いつでも奪還できるから、一度仕切り直そう」くらいの感覚だったのかもしれませんね。
『武功夜話』による竹田城攻めは?
昭和期に「発見」され、戦国時代のイメージ形成に大きな影響を与えた『武功夜話』では、この竹田城攻めについてより詳しく記述されています。
……太田垣土佐守高所に城を築き立ち向かい候。御大将羽柴小一郎殿人馬の息を休めず逃集の一揆輩悉く切り崩し追い打ち在々に火を放ち竹田の城に寄せ懸かり候ところ、高山険阻に拠り岩石を投げ落とし手向かい候。寄せ手の面々物とも為さず山谷を打越え諸手より鉄砲三百挺筒先を相揃え打ち入り候えば、遂に叶わず降参、城を相渡し退き候なり……
※『武功夜話』より。