【豊臣兄弟!】市川團子が演じる信長最愛の小姓…18歳で討死した美少年・森乱(森蘭丸)の短すぎた人生 (5/9ページ)
美濃国岩村5万石を与えられた森乱
天正10年(1582)3月、信長は竹田氏の諸城を次々と攻め落として武田信玄の4男として生まれ、信玄拍子後に家督を相続して20代当主となった武田勝頼を自害に追い込みました。
勝頼が亡くなり武田氏は滅亡。信長は、旧武田領を分割し、美濃国岩村5万石を森乱に与えたのでした。
その後、同年6月、信長は毛利氏と戦っていた秀吉からの援軍要請を受け、その道中で京都の本能寺に宿泊しました。この時、本能寺には森乱のほかに、信長が招いた客人や使用人なども複数いたと伝わります。
本能寺に宿泊した晩、外の騒々しさに目を覚ますと、大量の軍勢が本能寺を取り囲んでいました。森乱は、明智光秀が謀反を起こしたということを大急ぎで信長に伝え、信長を守るために必死に戦いました。
『信長公記』による描写では…
明智軍が本能寺の周りを取り巻いたときに、最初は中間らの喧嘩かなにかの騒ぎだと思った小姓ら。ところが鬨の声をあげた兵が境内になだれ込み、鉄炮が撃ち込まれた。
「これは謀反か。如何なる者の企てぞ」と信長がいうと「明智が者と見え申し候」と答える森乱。
「是非に及ばず」と。信長
というやり取りがあったことが記されています。森乱は信長とともに、18年という短い生涯に幕を閉じたのでした。