【豊臣兄弟!】「本能寺の変」の伏線は“播磨侵攻”にあった?信長・秀吉・光秀を結ぶ四国政策の大誤算 (2/8ページ)

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羽柴秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

信長が瀬戸内海の重要性を認識したのは、1576年(天正4年)7月の第一次木津川口の戦いであった。この戦いは織田勢に囲まれた石山本願寺に兵糧を入れるための毛利水軍と雑賀衆の共同作戦だった。織田水軍はこれを阻止すべく木津川河口で待ち受けたものの壊滅的な打撃を受けてしまう。

それでも信長は翌年の第二次木津川口の戦いでは、九鬼水軍に造らせた鉄甲船を用いて毛利水軍を破っている。とはいえ、その後の本願寺との戦いを有利に進めるためには、瀬戸内海ルートの安定は必要不可欠だった。

しかし1578年(天正6年)2月、播磨攻略を目指した秀吉は、三木城に籠城する別所長治(下川恭平)をはじめ播磨の国衆たちの反乱に苦しむことになる。

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