【豊臣兄弟!】「本能寺の変」の伏線は“播磨侵攻”にあった?信長・秀吉・光秀を結ぶ四国政策の大誤算 (5/8ページ)

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別所長治。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

この頃になると元親は土佐・阿波・讃岐を平定し、伊予に軍を進めていた。その元親に対し信長は土佐一国と阿波半国のみ安堵し、讃岐と阿波半国は信長に返上することを通達した。そのうえで三好康長に、阿波と讃岐の領有を認める朱印状を与えたのである。

信長への不信が本能寺の変へ繋がった

元親からすると、信長の仕置きはまさに「寝耳に水」であったろう。確かに四国平定は元親の悲願であったかもしれないが、元親は信長の敵である毛利側の河野氏と伊予で戦火を交えていたのだ。

1582年(天正10年)3月、信長は甲斐の武田勝頼を追い詰め武田氏を滅亡させた。これにますます軍事的に有利になった信長はさらに厳しい要求を元親に突き付けた。それは土佐一国の領有しか認めないというものだった。

こうなると元親は光秀に頼るほかなくなっていた。同年5月、元親は「せめて土佐と阿波の国境にある海部城・大西城は安堵して欲しい」と光秀に信長への取り成しを依頼した。

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