『豊臣兄弟!』本能寺の変は“老い”が引き金だった?明智光秀を謀反へ追い込んだ「残り時間」という恐怖 (2/7ページ)
しかし、光秀がなぜこの大事件を起こしたのか、その理由は今もはっきりしていません。
光秀が織田信長を討った理由としては、古来よりさまざまな説が唱えられてきました。例を挙げると怨恨説、野望説、黒幕説などです。
配下に対して猜疑心を増していく織田信長。(NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK)
『豊臣兄弟!』では、安土城を完成させ天下統一を目指す信長は、やがて味方の大名だけでなく、家臣たちにも猜疑の目を向けるようになります。
このような過程で松永久秀(竹中直人)や荒木村重(トータス松本)などの大名が反旗を翻し、長年にわたり織田家のために懸命に働いてきた佐久間信盛(菅原大吉)、林秀貞(諏訪太朗)、また秀長(仲野太賀)の妻・慶(吉岡里帆)の父・安藤守就(田中哲司)などの重臣が次々に追放されていきます。
そして、1582年(天正10年)6月2日、実質上の織田家重臣トップである光秀が、京都本能寺に滞在していた信長を襲い、滅ぼすのです。