『豊臣兄弟!』本能寺の変は“老い”が引き金だった?明智光秀を謀反へ追い込んだ「残り時間」という恐怖 (5/7ページ)
人生の終盤を迎えた光秀が抱いた不安とは
光秀の誕生年が、1516年や1528年とすれば、本能寺の変の時の年齢は、すでに50代半ばから60代後半ということになります。
戦国時代の平均寿命は、30歳から40歳。もちろん、80歳以上まで長生きする人もいましたが、常に合戦の場に身を置いている武将たちには、そんな保証はどこにもなかったのです。とすると光秀は、すでに人生の終盤に差しかかっていた年齢だったといえるでしょう。
そして、その光秀の目の前には、天下統一に向かい着々と進む信長がおり、その後継者には信忠がいました。さらに周囲を見回せば、急速に出世していく秀吉がいたのです。
それにもかかわらず、1582年(天正10年)3月の武田勝頼滅亡後には、信長と光秀の間には何かしらの不協和音が漂っていました。
その現実を前にしたとき、光秀は何を思ったのでしょうか。もちろん、本能寺の変の理由を、光秀の年齢だけで説明することはできません。