朝ドラ「風、薫る」りんの運命の相手になる?横沢公輔(井上祐貴)のモデルとされる木下尚江の生涯 (3/8ページ)

Japaaan

父は旧松本藩の足軽だった木下秀勝、母はくみとされます。

木下家は武士の家でしたが、その地位は低く,そのため禄もわずかであり,決して裕福な家ではありませんでした。
尚江が生まれたのは、版籍奉還が行われた年です。旧武士である士族の人員整理も現実味を帯び始めてきた時代でした。
明治4(1871)年には,廃藩置県が断行。藩という仕組みそのものが消えていきました。尚江は、父祖が属してきた武士の秩序が崩れていくなかで成長したのです。

しかも幼い尚江は病弱だったといいます。
外で活発に遊ぶよりも、家の中で絵本を読んだり、大人から世間話や宗教に関する話を聞いたりして過ごしました。
一方で、祖母に連れられて寺院で開かれる演説会にも足を運びました。そこで自由民権運動に触れた経験は、のちに政治や社会問題へ向かう原点の一つになったと考えられます。

明治9(1876)年、尚江は開智学校に入学。開智学校は、明治初期の近代教育を象徴する学校で、旧城下町の松本でも新しい時代に対応した教育が始まっていました。

明治14(1881)年には松本中学校へ進学。この学校で尚江の心を大きく動かしたのが、イギリスのピューリタン革命を指導したオリバー・クロムウェルでした。

クロムウェルらは国王チャールズ1世を裁判にかけた人物です。国王であっても法の裁きを受けるという歴史は、旧武士社会の権威が崩れたばかりの日本で育つ尚江に、強烈な印象を与えました。

尚江は自伝的著作『懺悔』で、心を奪われた少年時代を振り返っています。学校では「クロムウェルの木下」と呼ばれるほどだったそうです。

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