朝ドラ『風、薫る』でも描かれた「明治ナース誕生」史実では何があった?看病を“専門職”へ変えた女性たち (3/7ページ)

Japaaan

高木はイギリスのセント・トーマス病院医学校に留学し、フローレンス・ナイチンゲールの思想を受け継ぐ看護教育に触れました。

帰国後の明治14(1881)年、高木は成医会講習所有志共立東京病院を設立します。そして明治18(1885)年、有志共立東京病院に看護婦教育所を開設しました。

教育の指導者として招かれたのが、アメリカ人看護婦のメアリー・エリザベス・リードです。ここでは、西洋式の看護理論と病院での実習を組み合わせた、本格的な教育が行われました。

明治20(1887)年には、東京の桜井女学校付属看護婦養成所にも看護婦を育てる課程が設けられました。

ここに入学した第一期生の中に、大関和鈴木雅桜川里以広瀬梅らがいたのです。

大関和は安政5(1858)年、下野国黒羽藩の家老職を務める家に生まれました。結婚生活を終えて東京へ戻った後、牧師の植村正久から看護婦になることを勧められます。

明治20(1887)年1月、大関は桜井女学校付属看護婦養成所に入所しました。同年3月には植村正久から洗礼を受けています。

養成所の教育は、当初から順調だったわけではありません。

日本語で書かれた看護の教科書はほとんどなく、看護教育の経験を持つ日本人教師もいませんでした。

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