朝ドラ『風、薫る』でも描かれた「明治ナース誕生」史実では何があった?看病を“専門職”へ変えた女性たち (7/7ページ)
明治42(1909)年には「大関看護婦会」を設立。同年、有力な看護婦会の連合組織として「大日本看護婦協会」も発足しました。
そして大正4(1915)年6月30日、内務省令第9号「看護婦規則」が公布されました。
この規則によって、看護婦の年齢や資格、試験などについて全国共通の基準が設けられます。地方ごとに異なっていた制度が、ようやく全国的に統一されることになったのです。
ただし、これによって看護婦の地位や待遇の問題が、すべて解決したわけではありません。
長時間労働や低い賃金、医師との身分差、女性の献身を当然とする社会の見方は、その後も長く残りました。
それでも、明治時代に始まった看護婦教育は、看護を女性の善意や経験だけに頼る仕事から、知識と技術を備えた専門職へと変えていきました。
ドラマに描かれる人物同士の会話や細かな出来事は、史実そのものではありません。しかし、大関ちかや鈴木雅が桜井女学校付属看護婦養成所で学び、病院や患者の家庭で働き、教育や制度づくりに関わったことは確認できます。
二人が切り開いた道は、病人を救うだけのものではありませんでした。
女性が専門知識を身につけ、自らの仕事を持ち、社会の制度を変えるための道でもあったのです。
「明治ナース誕生」とは、看病を善意だけに任せていた社会が、命を支える仕事を一つの専門職として認め始めた、静かな革命だったと言えるでしょう。
大家直美のモデル・鈴木雅。派遣看護婦の事業は現代にも影響を与えた。
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