朝ドラ『風、薫る』でも描かれた「明治ナース誕生」史実では何があった?看病を“専門職”へ変えた女性たち (5/7ページ)
一ノ瀬りんのモデル・大関和。看護婦の待遇改善と地位向上に奔走した。
大関和と鈴木雅の活躍――社会へ広がった看護の力病院で専門教育を受けた看護婦が働き始めても、看護を必要とするすべての人が病院へ入れるわけではありませんでした。
そこで鈴木雅が始めたのが、看護婦を患者の自宅へ派遣する事業です。
鈴木は安政4(1857)年、現在の静岡県に生まれました。陸軍少佐だった夫(鈴木良光)を病気で亡くし、十分な看護を受けさせられなかったことを悔やんだことが、看護婦を志すきっかけだったとされています。
鈴木は英語に通じ、養成所ではアグネス・ヴェッチの通訳も務めました。修了証書には、鈴木だけに「看護学を教えるにふさわしい」という趣旨の言葉が添えられていたと伝わります。
帝国大学医科大学第一医院を退職した鈴木は、明治24(1891)年、東京の本郷に「慈善看護婦会」を設立しました。
これは、病人のいる家庭へ看護婦を派遣する組織でした。日本で最初の個人経営による派出看護婦組織とされています。
当初、鈴木は貧しい人々に無償で看護を提供しようとしました。しかし、慈善事業だけでは運営を続けることが難しく、やがて料金を受け取る仕組みに改めています。