【豊臣兄弟!】最後まで光秀に仕えた斎藤利三の壮絶な最期…晒された遺体を命がけで奪還した親友 (3/10ページ)
〜本能寺ヱハ明知弥平次斎藤内蔵人数弐千余キ指ムケ、光秀ハ鳥羽ニヒカヱタリ〜
「本能寺には、明知弥平次(明智秀満)と斎藤内蔵人(斎藤利三)が率いる2000余騎を差し向け、光秀は鳥羽に控えていた」という記述です。
そして、もう一つ『乙夜之書物』で注目されている記述があります。
本能寺の変前日の6月1日昼に亀山城(丹羽国)に入った斎藤利三のことを光秀は城の入り口で迎えたとのこと。そして、城内の茶室に明智軍の首脳陣を集め、皆に謀反を打ち明けたとあります。
それを聞いた斎藤利三は「これまで謀反をずっと延期してきました。先鋒は私が務める」と主張したとあります。
「利三は謀反に反対していた」という説もありますが、最近は「利三は謀反に積極的だった」という説も有力視されているようです。
「謀反を延期してきた」ということは、ずいぶんと前から光秀と利三は、謀反を計画していて、最善の「時は今」のタイミングを狙っていたのかもしれません。
「殿……いえ。上様、どうかご武運を」
本能寺の変後、有力諸将を味方につけることができずに「山崎の陣」を構えることになった明智光秀。
ドラマでは、陣で光秀と利三は二人きりに。