【豊臣兄弟!】最後まで光秀に仕えた斎藤利三の壮絶な最期…晒された遺体を命がけで奪還した親友 (8/10ページ)

Japaaan

斎藤利三・海北友松・東陽坊長の三人は茶湯を通して、親友といってもよいほどの友人関係を育んでいったそうです。

そのせいか、海北友松・東陽坊長は、秀吉が光秀と利三の遺体を残酷な扱いをして晒しものにして、死者を冒涜し辱めるという振る舞いに激怒したのでした。

海北友雪筆、海北友竹賛『海北友松夫妻図』wiki

刑場に忍び込み利三の遺体を奪還し葬った親友

海北友松・東陽坊長の二人は、長槍を持って粟田口の刑場に忍び込んで番兵を追い払い、利三の遺体を奪還しました。そして、真如堂に戻り手厚く葬ったのでした。

秀吉にとっては、明智光秀とともに謀反を起こした大罪人。せっかく市中に晒して辱めて信長の仇を取ってやったといい気分に浸っているところに、その遺体を奪還されたとあってはメンツは大潰れで、どんな刑罰を受けるかわかったものではありません。

けれども、親友の遺体がそんな扱いをされていることに、二人は到底我慢ができなかったそうです。

また、友松はその後も、近江堅田に隠れ住んでいた利三の妻子の面倒を見続けたとも伝わります。(因みに、利三の末娘が後に江戸城大奥で権勢をふるう春日局です)

このエピソードに関しての一次史料はないようです。けれども、京都の真如堂には、実際に斎藤利三・海北友松・東陽坊長の三人の墓が現存し、今も供養に訪れる人は絶えないようです。

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