【豊臣兄弟!】最後まで光秀に仕えた斎藤利三の壮絶な最期…晒された遺体を命がけで奪還した親友 (7/10ページ)
斬首された利三も同様の扱いをされて、衆人の面前に晒されるという残虐なはずかしめを受けました。
この処刑には多くの見物人が集まったそうです。光秀と利三のほか討ち取られた首は3000余もあり、それらの首を埋葬した首塚が築かれました。
光秀の首塚は、三条白川、亀岡市郊外の谷性寺、宮津市の盛林寺など、いくつか存在しています。
※光秀の首は落武者狩りをした土民が差し出した、実は光秀の首は見つからず秀吉はほかの者の首を利用したなど、諸説あり
亀岡市の郊外にある谷性寺の明智光秀の首塚 photo-ac.
親友、海北友松・東陽坊長盛は利三への仕打ちに激怒そ秀吉の、非道な光秀と利三の遺体への仕打ちに激怒した人がいました。
絵師で槍の達人でもある海北友松です。
友松は、北近江の戦国大名浅井家の重臣・海北綱親の5男として生まれました。
ところが、2歳の時に綱親が討死したために、京都東福寺で禅僧としての修行に入ったのです。友松は禅僧の修行とともに、弓・太刀・槍などの修行にも励んでいました。
浅井長政の死後、浅井家が断絶に追い込まれたあと、海北友松は茶の湯をきっかけに斎藤利三に出会ったそうです。
利三は、堺の豪商・津田宗及などと茶の湯を嗜むなど、高い教養を兼ね備えていました。さらに、僧侶でありながら千利休に茶湯を学んだ文化人でもある京都真如堂の塔頭・東陽坊の住持・東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)とも出会い交流を持つようになったのです。