『豊臣兄弟!』茶々=悪女はほぼ創作?秀吉が溺愛、豊臣家滅亡を背負わされた茶々(井上和)の壮絶すぎる生涯 (7/9ページ)
このとき、茶々は14〜15歳頃。(織田信雄が三姉妹を発見して面倒をみたなど、諸説あります)
『渓心院文』によるとこの時期に茶々は、秀吉に側室になるよう求められたとか。茶々は、その条件として「妹たちの縁組を整えるよう」求め、それぞれを嫁がせました。
茶々が秀吉の側室になったのは天正14年(1586)〜天正17年(1589)頃で、17〜20歳くらいで嫁いだとされています。
秀吉との年齢差が32歳くらいだとすると、50代の男性の側室になったことに……。
茶々は、なぜ自分の実父・義理の父・実の母を死に追いやった秀吉の側室になったのでしょうか?
秀吉がなぜ茶々を側室に求めたか?まだ20歳前後の茶々が、なぜ秀吉の側室になることを承知したのか?という理由については不明です。
秀吉がなぜ茶々を求めたか?という理由については…複数の説があります。
・秀吉が無類の「女好き」だった
秀吉は自他共に認める無類の「女好き」で知られ、一説によると側室の数は20人ほどだったとか。そんな秀吉なので絶世の美女だった茶々に目をつけた
・憧れの「お市」の面影があった
秀吉は昔からお市に惹かれていたので、お市に似ている茶々に惹かれた
「織田信長の血」が欲しかったから
ずっと忠義を尽くし憧れていた「織田信長の血」を残したかった
・正室の寧々との間に子ができなかったから
正室の寧々(北政所)との間に子供ができず、天下人として男児の後継が必要だったので、若い茶々なら「子を成せる」と期待した
・百姓の出と容姿へのコンプレックスがあった
ルイス・フロイスの『日本史』には、秀吉の言葉として
「予は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ」という記述があるとか。