『豊臣兄弟!』なぜお市は秀吉の勧めで柴田勝家と再婚した?悲劇に繋がる「真相」を史料と伏線から探る (5/9ページ)
賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、天正11年(1583)4月24日に北ノ庄城にて、勝家はお市とともに自害しました。
「お市はなぜ、親子ほども年齢の離れた勝家との再婚を承諾したのか」に関しては諸説あります。
よく知られる通説では、
▪️清洲会議で、織田信長の三男・織田信孝が、秀吉の思うがままになりそうな流れを阻止するために、叔母のお市に「勝家と一緒になって欲しい」と頼んだ
▪️お市は秀吉が我が身を狙っていると危機感を覚えて勝家と一緒になった
などのストーリーでしょう。
けれども、この話は後世軍記物などで触れていることはあっても、同時代の一次史料でお市と勝家の再婚までの経緯や二人の感情などを示すものはほぼないそうです。
『南行雑録』の中に収められている「天正10年(1582)10月6日付・堀秀政宛柴田勝家書状」には、秀吉と勝家が申し合わせたことや、お市との縁組に関する記述が見られるため、近年では、「勝家と秀吉の間で婚姻について何らかの合意がなされていた可能性」が主流になってきたといわれています。