『豊臣兄弟!』なぜお市は秀吉の勧めで柴田勝家と再婚した?悲劇に繋がる「真相」を史料と伏線から探る (6/9ページ)
(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)
秀吉と勝家が美しきお市を巡りバトル?説柴田勝家と秀吉が、美しいお市を我が物にしたいとバトルしたというストーリーは『祖父物語』に見られます。一部を抜粋してみましょう。
一太閤ト柴田修理ト取合ハ其比威勢アラソイトモ云又信長公ノ御妹オ市御料人ノイハレナリトモ申ナリ淀殿ノ御母儀ナリ近江ノ国浅井カ妻ナリケル浅井ニハナレサセ玉ヒテ御袋ト一所ニオハシケルカ天下一ノ美人ノキコヘアリケレハ太閤御望ヲカケラレシニ柴田岐阜ヘ参リ三七殿ヘ心ヲ合セオイチ御料ヲムカエ取オノレカ妻トス太閤コノヨシ聞召柴田ヲ越前ヘ帰スマシトテ江州長浜ヘ出陣アリ(祖父物語 称朝日物語)
原文はちょっと読みづらいのですが、わかりやすく現代語に訳してみると、
〜太閤(豊臣秀吉)と柴田修理(柴田勝家)の争いは、当時の勢力争いによるものとも言われている。
また、信長公の妹であるお市の方(お市御料人)も原因だと伝えられている。
お市の方は淀殿(茶々)の母君で、近江の国の浅井(浅井長政)の妻であった。
浅井から離縁させられた後、母上と一緒に暮らしておられたが、天下一の美人との評判があったため、太閤は彼女を望まれた。
ところが柴田が岐阜へ赴き、三七殿(織田信孝)と心を合わせて、お市の方を迎え取り、自分の妻としてしまった。
太閤はこのことをお聞きになり、柴田を越前へ引き返させようとして、近江の長浜へ出陣された。〜
というような内容です。ただし、
歴史学者であり大河ドラマ『真田丸』や『豊臣兄弟!』の時代考証も担当する黒田基樹氏によると、この祖父物語は「江戸時代中期くらいの成立」と考えられるとのこと。
ドラマチックに盛り上げられる話ではありますが……のちの創作なのでしょうか。