【風、薫る】「私はファイターだって」大山捨松、暴言軍人を一喝!看護婦の名誉を守った史実と名場面 (3/7ページ)
夫である小松宮彰仁親王(当時、東伏見宮嘉彰親王)は、日本赤十字社の前身である『博愛社』の初代総長で、『日本赤十字社』となったのちも総長を務めたそうです。
日本赤十字社創立貳拾五年のお祝いでは、記念の『日本赤十字社総裁小松宮彰仁親王殿下、日本赤十字社篤志看護婦人総裁小松宮妃頼子殿下』絵葉書が作られています。
小松宮妃と共に軍人病院を慰問したとされる大山捨松
広島文化学園大学看護学部・看護学研究科教授・佐々木秀美氏による『日本初のTrained nurse” 大山捨松の生涯とその時代の伝染病対策及び女子教育』によると…
捨松は,日清戦争中,篤志看護婦婦人会の幹事長小松宮彰仁親王頼子妃(1852-1914)が,広島陸軍予備病院や呉海軍鎮守府病院などを訪問する際,同行した。(注出典:久野明子著『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』(中公文庫,1997年 P277)
と、紹介しています。ただし、
『呉海軍病院史』には,皇太子や皇后陛下等の皇族方,華族の方々が訪れたと記載されているが,捨松等の個人名は特に記載されていない。
(注出典:呉海軍病院史編集委員会:呉海軍病院史,p51,2005年)
と、されています。