【風、薫る】「私はファイターだって」大山捨松、暴言軍人を一喝!看護婦の名誉を守った史実と名場面 (4/7ページ)

Japaaan

実際、冒頭でも触れたように、大山捨松は米国大学在学中からアメリカの赤十字に強い関心を寄せていたそうです。

そして、ヴァッサー大学卒業後にニューヘイブン病院で2か月間、実地看護に従事し、看護婦の免許を取得しています。

そのスキルや知識を発揮したのでしょう。

「日本赤十字篤志婦人会」の発起人となっただけではなく、日本赤十字社で戦傷者の看護もこなし、政府高官夫人たちを動員して包帯作りなどの活動も行ったと伝わります。

以前、ドラマで「炊き出し」の場面があったとき、捨松は「自分自身も会津戦争を経験して、飢えに苦しめられた思いを忘れられない」と語っていました。

たぶん、そのとき現場で多くの負傷した人々を目の当たりにしてきた捨松は、“看護”の大切さを身に沁みて感じたのではないでしょうか。

陸軍病院で働く多江を助け、看護婦の名誉を回復するために訪れた大山捨松。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

「女のくせに!」な暴言イキリ軍人を黙らせた捨松

ドラマでは、小松宮妃が患者の兵士たちに声をかけ退室した後、捨松は再び病室に戻ってきました。

看護婦が、患者に触れて脈や熱を測るという“看護”の仕事をしているというのに、「軍人に女がさわるな〜!」と怒鳴り散らしたイキリ男が誰かを偵察にきたのでしょう。

ちょうど多江は、具合の悪い若い軍人の看護をしていました。

案の定、上官らしきその男は、いやらしい目をしながら部下に合図をして「いよっ!お二人さん、おやすくないねえ」など揶揄させます。

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