【豊臣兄弟!】女性や子供まで大量処刑…なぜ“人たらし”の秀吉(池松壮亮)は残虐な暴君へ変貌したのか (2/9ページ)

Japaaan

豊臣秀吉(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

女性や子どもまで処刑された播磨侵攻をめぐる悲劇

秀吉の残忍さを示すできごとの一つが、播磨攻略戦をめぐる上月城の戦いです。

1577年(天正5年)、織田信長(小栗旬)から中国方面軍の司令官を命じられた秀吉は播磨へ進出し、毛利氏との戦いを本格化させていきます。

その翌年、毛利氏の大軍によって上月城が包囲されると、秀吉は信長に救援を求めました。

これに対し信長は嫡男の信忠、明智光秀、滝川一益、佐久間信盛らの援軍を派遣しますが、織田軍は三木城攻めに固執するあまり積極的な救援を行わず、最終的には上月城は落城してしまいました。

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