【豊臣兄弟!】女性や子供まで大量処刑…なぜ“人たらし”の秀吉(池松壮亮)は残虐な暴君へ変貌したのか (7/9ページ)

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そのなかには秀吉の盟友であった前野長康(渋谷謙人)らも含まれています。

秀吉の側室となった淀殿。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

このほかにも朝鮮出兵時には、淀殿(井上和)に仕えていた侍女ら30余人を自分の留守中に、みだらな男女関係があったとして大量に処刑しています。

「人を信じる秀吉」から「人を恐れさせる秀吉」へ

秀吉はなぜ残虐性をおびた人間になっていったのか。ここからは、筆者の私見を述べていきます。

筆者は、秀吉の残虐性は生まれつきの性格というよりも、戦国の権力闘争の中で次第に形成され、強められていったのではないかと考えます。

足軽という身分から急激な出世によって織田家中のトップに躍り出た秀吉。そこには周囲からの警戒や妬みがつきまとっていたはずです。

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