【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末 (3/8ページ)

Japaaan

小牧・長久手での本戦

歌川芳虎「小牧山両将軍大合戦之図」

主戦場となった小牧・長久手(愛知県小牧市・長久手市)では、天正12年(1584年)3月中旬から4月上旬にかけて戦闘が繰り広げられました。

まず羽柴方の池田恒興・森長可らが先制攻撃を仕掛けたものの、徳川方の松平家忠・酒井忠次によって撃退されます。

やがて大坂城から秀吉の本隊が到着すると、両軍は互いに砦や陣地を構築し、戦況が膠着状態に入りました。

これを打破するため、池田恒興が秀吉に「三河中入り」を献策します。これは家康の裏をかいて三河国へ攻め込み、家康の後方を撹乱する作戦でした。

秀吉はこれを許可して池田恒興・森長可・堀秀政・羽柴秀次らを「三河中入り」部隊として派遣しますが、その動きは家康に察知されてしまったそうです。

中入り部隊は岩崎城(愛知県日進市)を攻略しますが、勝利に油断している背後には家康らの軍勢が迫っていました。

まず羽柴秀次の軍勢が奇襲を受けて壊滅。秀次はわずかな家臣たちと共に這々の体(ほうほうのてい)で逃げ帰ります。

この勢いで徳川軍は堀秀政の軍勢に攻めかかりますが、今度は返り討ちにされてしまいました。

池田恒興・森長可は家康本隊と決戦に及び、一進一退の攻防を繰り広げた結果、それぞれ討死してしまいます。

「【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末」のページです。デイリーニュースオンラインは、遠山半左衛門尉遠山佐渡守諏訪頼忠菅沼定利結城晴朝カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る