【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末 (4/8ページ)
中入り部隊の劣勢を知った秀吉は救援に向かおうとしますが、本多忠勝によってその行軍を妨害されてしまいました。
ここで戦闘は一区切りついたため、家康は小牧山城(愛知県小牧市)に入り、秀吉は楽田城(がくでん。愛知県犬山市)に入って様子をうかがいます。
再び戦線が膠着したため、秀吉は羽柴秀長(小一郎)に命じて北伊勢国の諸城を攻めさせました。救援に出て来たところを叩こうとしたのでしょう。
しかし家康らは挑発に応じず、城の守将らに対して「援軍は送らないから、開城するよう」勧告したため、北伊勢の諸将は次々と羽柴勢に降伏していきました。
そんな中、秀吉は根来衆・雑賀衆・長宗我部元親らによって大坂城が脅かされているとの報に接します。秀吉は仕方なく大坂城へ戻ることにします。
6月28日に秀吉が大坂城へ帰ったと聞いて、家康も最前線の小牧山城を酒井忠次に預けて、自身は後方の清洲城へ移ったのでした。
それからしばらく経った8月16日、徳川方に動きがあったと見たのか秀吉は大坂城から楽田城へ入ります。家康も岩倉城(愛知県岩倉市)に入って再び決戦かと思いきや、小競り合いに終わっています。
それ以降は秀吉と家康の両雄対決は行われず、9月に和睦交渉があったものの決裂し、11月になってようやく和睦が成立したのでした。