【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末 (7/8ページ)

Japaaan

歌川芳形「英雄八景之内笹良越暮雪」

3月から11月まで、長く続いた小牧・長久手の戦いは、11月12日に和睦が成立しました。
秀吉と信雄が取り決めた和睦の条件は以下の通りです。

一、秀吉は信雄に対して、占領した伊賀国と伊勢半国を割譲(返還)する。

一、秀吉は信雄に対して、人質を出す。

これだと秀吉が一方的に不利と思えますが、実はそうでもありませんでした。割譲した所領のうち、伊賀国は脇坂安治に与え、伊勢半国は蒲生氏郷らに分け与えられたのです。

要するに結局は秀吉家臣に分配されただけであり、信雄としては何の得にもなりません。が、信雄には抗議するだけの力はありませんでした。

かくして信雄が勝手に和睦してしまったため、継戦の大義を失った家康も、間もなく秀吉と和睦します。

和睦の条件として、家康は次男の於義丸(おぎまる。後の結城秀康)を秀吉の養子(実質は人質)に出し、徳川重臣の子供らも同道(こちらも人質)させました。かくして小牧・長久手の戦いは終止符を打ったのです。

一方まだ戦い続けていた雑賀衆・根来衆・長宗我部元親・佐々成政らは連携を失って孤立し、翌天正13年(1585年)にそれぞれ制圧されていきました。

小牧・長久手の戦いが収束したことで、秀吉の天下一統はますます磐石のものとなっていったのです。

終わりに

今回は秀吉と家康の対決「小牧・長久手の戦い」について紹介してきました。一地域の戦闘に留まらず、その影響は各地に波及していた大規模な対決となっていたことがわかります。

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