シマケンの挫折は当然だった?『風、薫る』『ブラッサム』朝ドラの時代に隠された文筆家たちの苦境と辛さ (3/8ページ)

Japaaan

一葉は新聞記者・半井桃水に師事し、明治25(1892)年に雑誌『武蔵野』で『闇桜』を発表します。

ところが「作品が載る」ことと「生活できる」ことは別問題です。

文学者・馬場孤蝶の回想によると明治後半には有名作家なら原稿用紙1枚1円ほど。尾崎紅葉は1枚2円50銭という噂さえあった時代です。

一方、一葉の原稿料は1枚30銭ほど(妹の証言)だったとされています。つまり原稿料は作家の知名度、出版社、作品によって大きく違いました。

当時のそば・うどんは約1銭2厘、普通郵便の書状は2銭程度でした。一葉の「1枚30銭」という数字が正しいとすれば、そば約25杯分です。

一見すると悪くなさそう…と思いますよね?しかし毎日のように原稿注文が舞い込むわけではないのです。

原稿が必ず採用されるわけではない。

掲載されたとしても原稿料が安い。

そもそも原稿料が出ない場合もある。

いつ次の仕事が来るかわからない…

当然、一家を養うための「固定給」となるはずがありません。

明治の作家は、才能だけではなく「原稿を載せてくれる場所」を確保することそのものが仕事だったのです。

樋口一葉。着るものにも困る生活の中で次々と傑作を生み出した。

「シマケンの挫折は当然だった?『風、薫る』『ブラッサム』朝ドラの時代に隠された文筆家たちの苦境と辛さ」のページです。デイリーニュースオンラインは、風、薫る、宇野千代、ブラッサム、ばけばけ、小泉八雲、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る