【風、薫る】バーンズ先生の“6つの種”は生きていた!ツヤとヒデ11年ぶり再会で見せた予想外の姿と伏線回収 (3/8ページ)

Japaaan

以前、帝都医大病院の“看病婦”だったものの、ミスを犯しクビになったツヤが「看護の仕事をさせて欲しい」と、恵風看護婦会を訪れて来たのです。

ツヤは文字を学び、りんからもらった『Notes on Nursing(看護覚え書)』の原本を、11年もかけて読んで独学していたのでした。りんが教えていた頃の「看護婦になる夢」を捨てていませんでした。

トレインド・ナースになるには、定められた養成所で学び卒業しなければなりません。

けれども、“看護婦” になるために大切なのは、「どこで学ぶかじゃなくて、なにを学ぶか」……と気が付くりんと直美。

「自分たちが“train (訓練)”すればいいのだ」と考えて、ツヤを一人前の“看護婦”に育てることを決意しました。

彼女は教わる側から、バーンズ先生のように看護の種を蒔く立場になったのです。

11年間も独学で看護婦の勉強を続けて来た、努力家のツヤ(NHK「風、薫る」公式サイトより)

史実でも看護婦養成に貢献した大関和と鈴木雅

史実では、直美のモデル・鈴木雅もりんのモデルである大関和も、看護婦の養成に貢献しています。

⚫︎鈴木雅…東京看護婦講習所を開設

「慈善看護婦会」を開業した。この会は明治29年(1896)に「東京看護婦会」と改称され,東京看護婦講習所も併設した。

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